稲佐山がすぐ目の前に見えていました。
車で頂上近くまで行くことが出来ます。
頂上から長崎市内が一望できます。
もちろん私達が住んでいたところも見渡せました。
長崎での生活もすっかりなれて
庭の野菜も次々に実りわずかですが、料理にも
なんとか使えるようになりました〜
2人の子供達も元気にすくすく
と成長していました。〜
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長崎の歴史にふれてみます。
〜〜〜島原の乱〜〜〜
天草四郎〜名もない一少年が彗星のごとく登場し〜
多くの謎を秘めたまま短い生涯を終えた〜〜
1637年天草四郎を総大将に島原と天草の領民が結集した。
島原城跡に籠城した島原、天草のキリスタン
農民と浪人衆が幕府の大軍を相手に3ヶ月もの
攻防戦の末、幕府に多大な損を与え落城の際
一人残らず殺害されました。
”日本史上の大事件でした”
1614年徳川幕府は発布した禁教令により
全国で厳しいキリスタン摘発が行われました。
島原では2代目藩主、松倉勝家が無謀な重税を課し
禁教に名をかりて領民をおどします。
これに追い討ちをかけるように天災、飢餓、凶作
など〜島原の領民を苦しめます。
1637年妊婦を拷問死させた事件や
代官が聖画像を踏みにじる事件が相次いでおこり
領民達は激怒〜おさまらない怒りに次々と代官を
おそいます。
とうとう天草四郎を総大将とする一揆軍は
島原城と富岡城を〜〜
落とせなかった島原と天草の領民ら3万7千人が
一国一城制で廃城となっていた原城に立てこもりました。
政府軍の大砲の砲撃〜 カリスマ的存在だった
四郎に迫る攻撃の嵐〜
政府軍の激しい攻防の末、原城では女性や子供までが
みな殺しにされたといわれています。
〜〜〜〜・〜〜〜〜
天災、飢餓、凶作など信仰の自由さえも奪われ
生きて行くにも大変な時代ではなかったかと思います。
それにもかかわらず、幕府からの無謀な重税を課されて
飢餓で死んでいった人達もいたようです。
この時代を思うと身分の低い農民達も結集すれば
大きな力になることを教えているような気がします。
わずか17才の若き天草四郎の存在は
人々を結集して戦う大きな力になったのでは
ないでしょうか
〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜
写真提供〜ごぼうの花さん
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感謝してます ありがとうございます
ほんと、まだ青年っていうより子供みたいな像でびっくりしたのを覚えています。
きっと、数えの17歳なのでしょうね。
宗教というのは興味のない人には本当価値のないもの。
信じる方には命に代えても守りたいもの。
とても複雑で奥深いものですよね。
今の日本は信仰の自由が守られているのですから。
そうそう、天草も行きました〜
書き込みありがとうございます。
写真使わせて頂きありがとうございます。
また素敵な長崎の写真楽しみにしています。
みのり
毎回嬉しい書き込みありがとうございす。
天草四郎の生涯はわずか17年とても印象深い生き方をしていますね〜
とても美少年であったとも言われています。オランダとの混血〜など
いろいろな説があります。
命をかけて守るキリスタンの信仰と幕府に向けての戦い〜この時代のことを
思うと心が痛みます。
みのり
書き込みありがとうございます。
確かにそうですね〜この時代信仰の自由もなく、農民は畑でたくさんのお米や麦など
育てても幕府に税金として収めなくてはならないのですから〜
今の時代はいいですね〜平和で信仰の自由もあり、好きなものを自分で選べるわけですから〜
みのり
書き込みありがとうございます。
浜松時代に天草にも行かれたんですね〜
ブログを書きはじめていろいろな土地の歴史を調べてみると、何かその土地が好きになります。浜松城の歴史も徳川家康の歴史も、日本の生活の中で書いていますのでまた見て下さい。
みのり