日本各地に静御前のいろいろな伝説が伝えられています。
〜白拍子 静御前〜
静御前は、当代名うての白拍子で、義経との悲恋は良く
知られています。
若き武将と美しい白拍子との出会いは劇的であり
悲劇的でもありました。
義経は平家征訂に活躍し、都での評判が高まるにつれ
兄頼朝とは、不和が次第に深まります。
美貌と才芸、優雅と勇気といった緒美徳を備えた
日本の理想的な女性です。
「平家物語」や「義経記」などにも紹介されています。
その静が源義経、源頼朝の対立後、義経が京都で
頼朝の刺客に襲われた時は、いち早く襲撃を察知して
義経を助けました。
義経勢が吉野に潜行した時も、女でただ1人これに従った。
最も義経を信じ愛した女性として〜描かれています。
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1186年〜静は〜頼朝方に捕まり
鶴岡八幡宮で舞を命ぜられた時〜次のような歌を〜♪
〜吉野山 峰の白雪 踏み分けて
入りにし 人のあとぞ恋しき〜
〜静や静 しずのおだ巻き くり返し
昔を今に なすよしもがな〜
義経への愛を切々と歌い〜頼朝を怒らせた
静がまもなく生んだ義経の〜息男は〜頼朝方により殺されました。
失意の中〜母と共に京都に帰り、その後義経の死を聞き
生きる希望を失い”尼”となった。
その後〜乳母と共に〜花の輪の里でつぎのような言葉を〜
「ここは義経殿のおはせ陸奥(むつ)の国なれば
ここに心を留めましょう」
その面影を偲びつつ、ついに池に身を投じたと伝えられています。
1189年〜時〜弥の花の頃3月28日、22才の春でした。
郡山市大槻町太田地内に静が身を投じた〜
「美女池」として今も残っています。
まだまだ若い22才の生涯〜静が義経との愛をはぐんだのも多分
10代の頃ではないかと思われます。
とても悲しい平安時代の出来事に思いをつのらせました。
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入水自殺の池が舞鶴にあるのですか?
奈良の大和高田、吉野、鎌倉・・・・
静御前の有名度というか、人気度がわかりますよね〜。
思うのは、ロマンティックだけどこの人生は歩みたくないなぁーです(^_^;)
訪問書き込みありがとうございます。
静御前〜”波瀾万丈の一生”
本当にそうでしたね〜
また入水自殺の池の場所〜書くのを忘れていましたので、さっそく入れました。
毎回〜ヒントを与えて頂きありがとうございます。
みのり
鎌倉は地元のようなもので、しょっちゅう訪れてましたので、
その都度、静御前の複雑な胸中に思いをやったものです。
みのりさんのお陰で、彼女の悲恋が更に詳しく分かり感謝です♪
昨日、介護に出向きながら湘南ひらつかの七夕まつりを夫と一緒に
見てきましたけど、昔の方が短冊の色合いが淡くて趣もあったような・・
訪問書き込みあるがとうございます。
介護で平塚に行かれていたようですね〜
平塚の七夕は有名ですね〜私も主人が単身赴任していました時に見に行きました。
ヒマワリさんが子供の頃は今よりかなりにぎやかだったのでしようね〜
静御前の華麗な舞〜そうヒマワリさんは
鎌倉に近く〜私より詳しいですね〜
静御前の悲恋〜義経を愛して〜生まれた
我が子も殺されて〜可愛そうな〜生涯でしたね〜
みのり
その陰に隠れた詳し事はあまり良く知りませんでした。
自分の愛を貫き通した悲恋の一生は
あまりにも短すぎますね。。。
訪問書き込みありがとうございます。
”静御前の愛を貫き通した悲恋の一生は
あまりにも短すぎる”
ほんとうですね〜我が子と重ねてみても〜
まだ大学生ですよね〜
本当に悲しい悲恋の伝説です。
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みのり
毎年4月鎌倉まつりではここで静の舞が見られます。
大船に松竹撮影所が在った頃は松竹の女優さんが踊り、最近は舞踏家の方が続いています。
訪問書き込みありがとうございます。
そうアルバさんも鎌倉には詳しんですね
静御前の舞〜すばらしい舞なのでしようね〜
1度見学して見たいです。
大船に松竹撮影所があったんですね。
鎌倉〜1度鎌倉の大仏を見に行きました。
みのり